どちらかと言えば、AIと仲良くしたい側の私だ。
AIはいずれ、あらゆる優れた芸術をやり遂げると思っている。映画も、小説も、絵も。本気でそう思っている。 なんなら既に、AIで生成された小説や写真が賞をとる事案もある。
しかしやはり、どこまでいっても到達できない領域ってあるんじゃないのかとも思う。思ってしまった。
皮膚でも筋肉でも内臓でもない、どこか。そこにズバドンとくる感覚がある。説明はできない。できないんだけど、たしかにそこに何かが当たる。
宇多田ヒカルの「パッパパラダイス」。好きなことをしてたい、愚か者でいいじゃない。
AIが作っていてもこんなにグッとくるんだろうか。
再現は技術的には可能だろう。電気信号的には可能だろう。 能力が足りない、という話じゃない。学習量とか、パラメータとか、そういう話でもない。作れなさの、質が違う気がする。
「そう囁くのよ……私のゴーストが」
体のほとんどを機械に置き換えた草薙素子が、理屈を超えて囁いてくるものがあると言っている。 遠い未来、はたまた近い将来、体を機械に置き換えたらわかるのか?
AIが人間に近づくよりも、人間が人間から遠く離れたらわかるかもしれない。
「AIに優れた芸術が作れるか」ではなく、この気持ちをわかるのか。
コンテキストの厚みや、情報量を、凌駕する何かはあるのか、ないのか。
嬉しいのか悲しいのか、なんで流れているのかわからない涙を流すことはあるのか。
誰に何を頼まれたわけでもないのに、歌を口ずさむことはあるのか。
この感覚を、コードで再現できる日はくるのか。
10年後にこの記事を読みたい。
シュビドゥビ、シュビドゥバ。
文:阿部信太郎 / シンタロヲフレッシュ
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