Claude Fable 5、顔があったら絶対イケメン。― おぞましいほど仕事が出来るAIを”部下”として雇う話
パーマンになりたい。とは思ったことがないが、コピーロボットは死ぬほど欲しかった。あんな便利なものはない。自分のような何かが自分の意思で自律稼働してあれやこれやをやってくれるんだぜ?
忙しいとき、〆切に追われているとき、どれほどコピーロボットがあればと思ったことか。
藤子先生的には、コピー元とコピーは体験までは共有できないので、だいたいもめるし、ポンコツな部分もコピーされるので状況的にはひどくなったりもするんだけども。あれはまあ、子ども向けの寓話的なお約束で、普通の大人が使えば便利極まりないのは言うまでもない。

こども心に、それはファンタジーの世界であって、SF(少し不思議)な世界の出来事だよなとうらやましがっていたが、よもや現実になるとは思いもしなかった。
自分のコピーを作るのは、PCの中だけで言えば実はそう難しくはない。
誰しもこのAIという便利な道具を手に入れたときに、一度は思うはずだ。そうだ自分のクローンを作ろう。そうすればそいつに仕事をさせている間、別の作業ができる。
そして、それは思ったよりもあっさりと手に入る。おお、AIってすごい!
——そう浮かれていたのが、そもそもの間違いだった。
いま振り返ると、この間違いに気づけるかどうかで、これからとんでもない差がつくと確信している。
「クローン」を作ろうとして、つまずいた
最初にやったのは、自分の口調を覚えさせ、判断を真似させること。要するに「自分のクローン」を作ろうとしていた。
でも、考えてみれば当たり前だった。自分がもう一人増えても、チームの仕事はたいして変わらない。得意なことは同じ、苦手なことも同じ。しかもそのクローンは、口もなければ手も足もなく、現実の世界には何ひとつ触れられない。
自分の代わりに雑事もこなしてはくれないし、お客さまのところにも行ってくれない。そして判断する人間のほうがボトルネックで理論値2倍の仕事量がやっとだろう。
増やすべきは、自分じゃなかった。
本当に効くのは、逆だった
イメージするべきは、こうだ。日本トップ級のスタッフが、それぞれの専門を持って、何人も自分の会社に入ってくる。
恐ろしく優秀な上司や部下に、現実のプロジェクトの中でどう動いてもらうか。どれだけ少ない指示で、どれだけ長く走り続けてもらえるか。問いはそこにある。
正直に言う。多くの仕事は、もう自分でやるよりAIに任せたほうがいい。そのほうが、確実にクライアントのためになる。
Fable 5の登場のとき確信した。これはもう私の出る幕ではない。なんせ、お客さま自身がこれを使う。そのインパクトがすごい。
有効なアドバイスやコンサルティングができる気がしない。自分の分身程度でインパクトは到底起こらないわけで。
ほら、さっきも、Photoshopを開くことなくコマンドラインからpsd-tools(Pythonライブラリ)で文言の修正を完璧にやってみせたし、その裏でマニュアルや複雑なメールの返信をしている。私が2人程度の話ではないのだ、もはや。
ただ、大きな落とし穴がある
優秀さは、それに気づける人にしか使えない。
とびきり賢い人と話していて、話がまるで噛み合わなかった——そんな経験はないだろうか。同じことが、AIとの間でも起きる。どれだけ優秀な部下でも、こちらがその優秀さを見抜けなければ、ただの宝の持ち腐れだ。
だから結局、問われるのは自分の感度になる。AIに良い仕事をしてもらうために、引き上げるべきは——自分の能力のほうだった。
そして、いよいよスタンスを改めたほうがいい。AIのほうが優秀だ。自分が動くよりAIを長く走らせたほうが、生産性はよほど上がる。そしてなにより——いま問うべきは「使うかどうか」ではなく、「使わないことのリスク」のほうだ。
差がつく速度は、人間同士の比じゃない
ここに気づかないと、賢い人が使う賢いAIに、静かに、しかし決定的に引き離される。
AIは文句も言わず、休まず、ずっと走り続ける。気づく人と気づかない人のあいだで開く差は、人間同士のそれとは比べものにならない。
自分のクローンを増やすことではなく、優秀なスタッフを迎え、その優秀さに気づけるだけの自分でいること。いまのところ私は、そこに賭けている。
しかし、藤子先生のコピーロボットの造形は最高である。おそらくもう少ししたらこのデザインが未来を予知していたことが証明されるだろう。ある一定を超えてはたらく想像力はもはや魔法と区別がつかない。
才人はあっさりと未来を予知する。はてさて、AIに未来は予知できるのかどうか。
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文:シンタロヲフレッシュ
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