やっぱりデザインが好き
この記事がアップされる頃には、地獄のようなプレッシャーがマシになっていればいいのだけども。
2025年の5月21日、accobin の新曲『Flowers』が配信リリースになりました。おめでとうございます。
そんなわけで Flowers 関連のイベントがあります。
🎬 イベント告知ポスト → https://www.instagram.com/p/DJN95MjhLAU/
そして2025年5月22日は、私の45歳の誕生日です。おめでとうわたし。44歳をサバイブしたよな。もうアラフィフだけど大丈夫そう?
Flowers 関連のイベントとは、Flowers の MVについて世界最速上映するイベントで、そのMVを作っているのが、私だ。おそらく多分、45歳の私だ。(執筆当時ギリ44歳)
どうして創るの?
イベントでは「映像制作についての話」もするという方向性らしい。
そんなバカなッ!この私が何を喋るというのかッ!
ということは、だ、ニコニコして座っているだけではおそらく許してもらえそうにないので、事前に何を喋るかを一応考えるわけですな。
そう、40歳を過ぎればこういうところでわりと真面目なのである。お酒を飲んでベロベロの状態でツバと呪詛を吐きながらイベントに参加できる度胸があれば、もっと手前で人生が変わっていただろうし、そもそもそんなやつとは誰も付き合いを持ちたいとは思わないわけです。
私の制作に興味を持つ人がいるかどうかはさておき、私はなぜ創るのか。タイトルを回収する必要はあるのだ。
クリエイターとは絶望に耐性を持っている人
私たち働く人々は毎日のようにデザインをする。人のためにするデザインもあれば、自分のためにするデザインもあるだろう。
デザインとはなにも会社のロゴやパッケージやチラシや名刺を作ることではなくて、頭の中にある「漠然としたよさそうなもの・こと」を目に見えるカタチに(できれば上手に)頭から取り出し、あなたと私で肉眼で確認し合う作業である。
それがレコードのジャケット案であることもあれば、企画書や提案書であることもあるだろう。お弁当の美味しい具材のレシピであることもあれば、オリンピック会場であることもあるだろう。
私たち働く人たち、またはクリエーターは、頭の中にあるアイデアを(できれば上手に)取り出したいと思っているし、それについて、誰よりも上手である人たちこそが一流だと認識されるに違いない。
私だっていつでも頭の中の素敵なアイデアについて、(できれば上手に)取り出したいと思っているが、実際はそんなに簡単でもない。
白紙と絶望の狭間で
頭の中ではこんなに素敵なアイデアなのに、いざ取り出してパソコンで再現したとき、あまりの残念さにゲロを吐いた人も少なくはないだろう。かくいう私もしょっちゅう絶望している。
なんやこれは? と。
頭の中ではこんなに素敵に輝いているのに、なんでこんなにも残念なのか?と。
たいていの場合そこからスタートだ。他の人はそうでもないかも知れないが私の場合はそうだ。こんな絶望を味わいたくないと毎度のことながら思うのだが、この歳になってもこんな感じだ。
私が誰かに成果物を確認させるとき、絶望しているように感じないかもしれないが、それは制作の終盤であって、序盤は絶望だ。絶望にももちろん度合いというものがあって、私の絶望は日常によりそうタイプの絶望である。
死ぬほど辛いなぁと感じる事もないが、地獄やな(笑)というニュアンスではある。
途中
記事の途中ではありますが、こんな感じの話をしようと思うのですが、大丈夫そうですか?(確認)
そんなに地獄なら辞めれば(笑)という嘲笑が聞こえてくるわけですが、それはそう。すべての数値が可視化された現在、多くのクリエーターは絶望と無反応に削られて辞めるんだろうなと思う。
私の場合は仕事だから転職とかしないとアレかも知れないけども。
じゃあなんで辞めないの? そうだよな? そこが気になるはずだよな?
2012年、33歳だった私は「うつくしいものが好きだから」と書いている。
絶望を繰り返し、傷だらけになりながらクリエイションに立ち向かうと書いていないところに若さを感じるよな。むしろ13年たってより厨二的に洗練されたよな。ダメな方に。
上手く行くこともあれば上手く行かないこともあるのですが
そういうわけで、ベタに生みの苦しみはあります。そりゃあります。
その苦しみを少しでも減らすために、ロジカルでありたいと思います。机上の空論だったとしても、自分を納得させておきたい。クライアントからの辛辣なツッコミを華麗にかわすために。
頭の中の宝石を上手く取り出せるときもあれば、残念な見た目を必死に取り繕うこともあります。どちらにしても、自分がつくった成果物で誰かを喜ばせること自体が結局はやめられないんだろうなぁと思ってはいます。そういう魅力がデザインにはあります。
かつて演劇部だった高校生の自分が、公演のための台本を書き、涙する観客を、ウケる客席を、舞台側から眺めたときに感じたあの得も言われぬ快感と幸福感が、たぶんきっと私の心に絶望に対する圧倒的な耐性を築いてしまったんじゃないかなと思います。ティーンの感性とはある種の奇跡であり魔法です。
そんなわけで、Flowers のビデオに関して言えば、上手に頭から取り出せたんじゃないかな?と思うのです。
では、After Effectsのレンダリングが終わりそうなので、そろそろ作業に戻ります。
完成版 Flowers MV、楽しみにしててね。
そして、遊びに来てね!
🎬 イベント告知ポスト → https://www.instagram.com/p/DJN95MjhLAU/
文:シンタロヲフレッシュ
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