しずく

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バリスタ

自分の美意識とかプライドが邪魔やなぁと思うことが本当に多々ある。

なりふり構わずうまくいっている人に対してあんな恥ずかしいことよく出来るよな、と醒めた口調で言いながらダルめに批評。からの自分の美意識を正当化してプライドを守る。

他人の言動や行動が可視化されたが故に日々起こる自分の中の摩擦。それは本当に本当の批評なのか、出来ないことをやらないためのダサい言い訳なのか。

でも「あんな恥ずかしいこと」に妬みがあって、そこに願望が隠れたりすることもあって。

妬み嫉みという言い回しがあるけども、

他人を羨ましく思い、その分だけ憎らしいと思う感情。「嫉妬」と同義。「妬み」と「嫉み」はいずれも羨望と憎しみの入り混じった感情を表す。「妬み」は羨ましく口惜しい、腹立たしいといった意味合いが若干強い。「嫉み」は羨ましくて憎い、呪わしいといった意味合いが若干強い。

やはり羨ましいという感情に由来している「怒り」の、または「恨み」の感情。

「恥」を感じたら実はそこに自分の隠れた願望があるのかもしれない。

そして「恥」を人に感じさせるくらいがむしゃらになって、ようやくスタートラインなのかもしれない。

死ぬこと以外かすり傷、恥をかいて何か失うものがあるか?

厳密に言えばある。

本来そこにあったはずの美意識や矜恃は一旦キャンセルされる。それでいいのか? という気はする。とても。

しかしまあ、根拠のない自信と自己肯定感が生きる満足度を上げて、生活の中の小さな地獄を回避するツールになるのと同様に、正解がよくわからない時代では価値観もアップデートし続ける必要があって。

ごそっと脳のOSを入れ替えられればいいのだけどもそういうわけにもいかない不便な僕は上手くいってるけどクッソ恥ずかしいなと思う部分を真摯に妬み、模倣する柔軟さ・軽快さをもたんとね。変わっていかんとね。

大丈夫、どんだけ大胆に変わったとしても、テトラポットに頑固にしがみつくフジツボのように、しばらくお腹に留まるお通じのように、魂に美意識や矜恃はこびりついている。

掬った水の大半はそのまま流れていくだろうけども、数滴残ったそのしずくがこれからの新しいセンスに変わる。

文:シンタロヲフレッシュ

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