悪口言われた方はずっと覚えている問題
読みまして。
ツッコミどころに関してはどうぞブコメを参照して頂きたい。
んだけども、一番参考にしてはいけないと俺が思う部分に対していっちょ噛みさせてほしい。
「炎上」は「拡散」よりも、悪評が立ち一時的な好感度は下がりがちですが、そもそも知名度が0のブロガーにとっては、悪評であろうが知名度が上がることは歓迎すべきことと言えます。炎上に伴う精神的なダメージに耐えることさえすれば、炎上させることはテクニックのひとつと捉えられることもあります。(中略)炎上とはいえ定期的にSNSで盛り上がりを起こせるブロガーは貴重であり、拡散を狙って起こせるブロガーは、高い価値を持ちます。
燃えたり燃やしたりしたい人はどうぞご自由にという話しだけども、誰でもSNSをやって情報発信がここまで手軽で気軽になったとしても、「世に出す」ってことは基本的には狂気の沙汰なわけでね。
αだろうが泡沫だろうが、何かを世に放つってのはやべーことなわけですよ。知名度とか影響力とか関係なしにシェアリンク一発でどこまででも拡散するし、ヤバそうな言及は即魚拓がとられるし、なによりも記憶に残っちゃうのよ。
炎上に対するカウンターとして同時に語られるクソリプやブコメ、あれはね、送る奴よりも送らない奴の方が圧倒的に多いから。
がっかりしたり、憤ったり、憤慨したり、そういう瞬間の感情を載せてカウンターをカマす人はどう考えても「少数」で大多数の一般ピーポーは流すのよね。サイレントマジョリティーはただただスッと引くだけなんですよ。
こうやって時間使って記事を書くなんて少数で。
もちろん声の大きなやつに一部評価が集まるのは当然で、代弁者たるポジションを取ることも出来るんだろうけどもさ、よくぞ言ってくれた!っていう耳障りの言い言葉だけをすくい取るのはまあまあ危ない。
そういう意味ではフィルターバブルの悪しき完成形なのかもしれないね。
特に長くもない2011年からの6年間で、確かに意図的に燃えそうな薪をくべる主語の大きなブログ書きを何人も見てはきたし、感心するほど見事な火付けも何度かあったと思うけどもさ、結局大半の人たちは失速するか沈んでいってる。それくらい闇が深い行為ってのは喰らうまではわからないんだろうね。
フォロワーやPVは増えるだろうけども、その多くが見物人であり野次馬なのだもの。
長い人生、別に長く楽しまずに太く短くいってもらうのは大いに結構だし、好きにすればいいとは思うけども、大多数が爆発的に売れもせずユルフワでやってるし、売れてるなぁと俺が感じる人たちはただ淡々と書いて、淡々と収益を伸ばし、淡々と信頼を得ていった人たちで。
いつかどこかのブレイクスルーって感じのドラマチック性に惹かれるのもわかるんだけども、実は残念ながらすげー地道な作業なんだと思うわけです。
地道なことを狂気的に出来るから、狂気的な作業を楽しいと思えるから、まあ、当然のことながら結果出るわなぁって。
不用意なことを言って悪意を喰らうってのはやっぱ怖いものだしさ。
言うことがコロコロ変わるとか、そういうのは人間だから仕方ないとは思うけども、いちいち汚い言葉を使う必要性はないし分母をでかくして辻斬りになる必要もないことは明らかで。
バスケットボールってほんとよく出来たスポーツだなぁ * prasm
だってね、「表現」ってやつは選べるわけだから、その「表現」を使わない伝え方なんていくらでもあったわけだから。
不自然なほどに自分をよく見せる必要性もないとは思うけどもさ、さらに言えば、思っていることなら書いても仕方ないとは思うけどもさ、あんまり深く考えても思ってもないことでいちいちガッカリされてそんなことでほんのちっこい「界隈」とやらで台頭できることがそこまで魅力的なんだろうか??
誰しもが孫正義とかイチローになれるわけじゃないし、そんな人生だけが素晴らしいとは思わないけども、いやさ、一時の炎上とか目線が低すぎない? 拡散が起きなくても面白い人はいっぱいいるよ。
少なくとも火付けが得意な人たちとは一緒に仕事したいとかご飯食べたいとか全く思わなくて、書き味から誠実さが出ている人とか、人間性が漏れてしまっている人といるときの方が楽しいし。僕は凡庸で一般的なので、こういう風に思っている人の方が多いンじゃないのと思っちゃう。
ダークヒーローとかヒールは好きだけども、必要悪以外の悪は、ただの悪じゃないかって。
もっと言えば優秀なら絶対に使わない手段が「無駄に主語をでかくする言及」だと思う。
なぜならば淡々とクオリティー出すだけで目立てる「そういう分かりやすい場所」だと思うんだ、いわゆるブログって。
「男」は「女」は「主婦」は「母」は「サラリーマン」は「喫煙者」は、とかそんな巨大な世界を背負うような言及、不可能だってちょっと考えたらわかるやん。
被害者的ポジションかつ正義マンみたいな書きっぷりですが、僕が書いた記事が誰かを傷つけたことがないなんて露程も思ってないよ。発信とか表現ってのはそういう危なっかしいもんだよね。でも自己満足で楽しいから、書くわってなもんです。
PVがたくさんあるだけのブログよりも、ファンがたくさんいるブログの方がカッコいい、そういう感じにそろそろ世間も見えてるんじゃないかな。シェアするだけでセンスよく見られるブログ。そういうモノに私はなりたい。
ブログやSNSでネガティブなことも書いたっていい。大切なのは「自分は何をもって覚えられたいのか」ということ。 | 隠居系男子
言いたい事を言って結果燃えるのはしゃあないと思うけども、わざとアタック感のあることを書く火付けと釣りに対して「リスクを取る」と言われても困る。
— ボット オブ シンタロヲフレッシュ (@update_fresh) September 12, 2017
インパクトのある言葉は資源なので、使いすぎると枯渇します。
— ボット オブ シンタロヲフレッシュ (@update_fresh) September 10, 2017
自分らしくあるブログってのがいつだってカッコいいし、量産型のいい人やら道徳マンである必要性はないけども、借りてきた衣や虚勢程度は見透かす質の高いフィルターをみんな持ってるよな。
さめざめと冷静に煽りなくしんどいことを指摘してくれる人はSNSですごく貴重だなと日々感じる。だってうわぁと思ってもそっ閉じするだけだもの。共感がなくとも、一度飲み込みましたというポーズの上での指摘であれば、なお真摯。否定せず、さめざめと、自分のフィルターを通して、嘆かず。
— シンタロヲフレッシュ (@shintarowfresh) August 22, 2017
話聞いてもらえるおじさんからの言及は以上です。ところでうちのブログものっけてもらえるかな? 第6世代くらいで。
文:シンタロヲフレッシュ
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