幸せだなって思える瞬間は、多いに越したことはない
チーズが食べられないなんて人生の半分損している、的な論法を自分や他人に向けられる度に、ハァ?と思う私です。
損しているか得しているかは自分できめるわい、と。
お前は損するのが嫌だからチーズを食べているのか?と。
すべての事象に当てはまる絶対真実ですが、いちいち他の誰かをかわいそうとか言って見下さないと得られない幸せや充実感に1mmも意味はないんやで?
できる限り誰にも迷惑をかけず、嫌な気分にさせず、どれだけ自分自身で「うふぅぅ、幸せ(しみじみ)」って感じられるか。
人生の豊かさなんて、言ってみればそういう感じよ。この先まだ幸せを感じられるのか、感じていたのか。そういうことよ。
いうてもいきなり「ああ、幸福(しあわせ)」って感じられることってなかなかないとは思うんですけど、数日経って振り返ったとき、またはリアルタイムに、ああ楽しいなぁ!って感じる事はあるなと。
小さなコトに幸福感を感じるために、幸福のタッチポイントとして「楽しい」を追求するのは至極当然のルートだなと。
三つ星シェフの作るご飯も美味しい、でも立ち食いそばも美味しい、何食べても美味しい方がいいじゃんって。
それは「こだわりがないこと」とはまた別で、幸福感を上げるためには「こだわり」もまた必要でね。
前からずっと欲しかった靴を買う。ほら、こういうこだわりがさ、嬉しさを作るじゃん。なんか頑張ろうって思うじゃん。
幸せ〜って思えることや場所が君にはあるか?
僕は、テルマー湯で「露天の寝転び湯」につかるたびに強く幸せを感じます。そういう場所やそういう瞬間は多いに越したことはないのです。
文:シンタロヲフレッシュ