気力、というリソース
Tune my Resource called vitality.
祖母が亡くなりました。暗い話をするつもりはないですがひとつの折として。
本を読むのが好きなので日常の隙間を見つけ、ときに古本を買い、電書で買い、読み放題サービスを利用して雑誌も読んでおります。
解決すべき課題は山積み、吸収すべき知識は日に日に増え、親はあってもなくても子もだんだんと育ってきてます。
仕事をし子を持つ親として、生きるヒントをくれたり時間を忘れ物語にのめり込む読書の時間はとても大事で、率先して読書するための時間を確保したいなぁと思う今日この頃。
生活の中で読書の時間を増やすにはどうしたらいいのか?
タイムマネジメントが大事だとばかりおもっていたのですが、いやいや実は私にとっては「何かを自由にできる時間」よりも「気力」のほうが読書のためにはよほど必要なのだと思い至りました。
時間に関しては何かを諦めたり切り詰めたり、効率化すれば意外となんとかなるものですが、気力に関してはわりとどうにもならんな、と。
心身ともに健康とはよく言ったもので、座りのパソコン仕事なので体力的にはそこまで減ってないし、時間も必要なだけ確保できる、にも関わらずページをめくる気が起きないのはそれはもう気力の問題でしょう。
宿屋で眠ってたりエーテル等の薬物で回復するなら便利だなとおもうのですが、この「気力」というやつはなかなかにやっかいで。
疲れや痛みは体の機能で知覚できます。でも現実世界には気力のパラメータやゲージはオーバーレイされず、総量も現在の値も不明。
体と心はつながっているので、どちらかを補えば自然とバランスがとれるのも事実で。現にジムに行った日なんかは体は疲れているけども、読書も捗るしよく眠れたりしませんか?
目に見える体、目に見えない心(気力)どちらも重要だけども、むしろ手で触れられない気力にこそ重点を置きたいなー、と感じている私です。
目に見えないモノを大切にしたい
例えば僕が仕事でやっていることは表面的にはホームページを作ることなんだろうけども、デザインの美麗さ、文字の読みやすさ、パフォーマンス、このへん以外にも「使い勝手や印象」のような数値にして計測しづらい価値がたくさんあります。
人で言えば、生き方とか働き方、チームマネジメント、体力、気力、あたりは目に見える数値で計測出来たり単純に評価はしてくれませんしやれと言われても困難です。
年収や肩書きなんかも1つの指標なんでしょうけども、それでその人全てが表せているかというと、うーん。
数値で評価してくれれば苦手なことはやらなくてもよくなってそれはそれで素敵だなとは思うのだけれど。
今日が最後の日かもしれないメソッド
自己啓発系の本でよく出てくる悔いなく生きる的な例のアレですが、実際はなかなかどうして自分の身に置き換えるコトができません。
流石にどれだけ睡眠時間を削って死ぬ気でやっても1日で出来る仕事の量には限りがあるし、今日本気出しすぎて明日ヘロヘロになったら総量としてはなんならマイナスになる可能性もあるよな、と。
やりたいことだけをやって生きる事は大事で素敵な事だとは思いますが、その生き方を他人にも啓蒙・強制するのは確実にミスっているよなとも思います。
ワークライフバランスという言葉の通り、重要なのはバランスであってどちらかに傾くことが絶対に正しいなんてことが、あるはずがないですね。
お金のために働いたって、好きなことじゃなく得意なことで対価を得たっていいじゃんか、という話しです。
他人にとっては多様性を認めつつ、とはいえ自分の中ではポリシーを持って生きたいなと感じる私で、それでいいと思うし、誰になんと言われてもそうしようと思います。
妻も子供もいる僕が今日が最後の日かもななんて思いたくもないですが、ポリシーに添って悔い無く生きなければなと、立ち位置を確認するのにお葬式・荼毘に付すというシステムはとても優秀だなと感じました。
だってまあ、やっぱ、死ぬからね。
気力はリソース
MP(マジックパワー)を発明したのはドラクエかなんのゲームなのかはわからないですが、MPがゼロになると気絶し行動不能になるゲームもあるようですよ。
ゲームのようにアイテムで回復できない(にも関わらず心ない言葉で一気に削られる)重要なリソースの増減に対して敏感でありたい。
もちろん、自分のMPだけではなく、家族のMP、同僚のMPに対しても。
ちなみに、今年の目標は、ダイエットです。
はい。
文:シンタロヲフレッシュ