冷蔵庫の冒険000|ボロネーゼとミートソース
君はまだ気高く飢えているか?
「おしいれのぼうけん」という絵本が好きだ。
厳密に言えば、好きだった。嫌いになった訳ではない。子供の頃の話しだ。
たまには気軽にどうでもいいことをどうでもいいねと言いながら話したい。君に昔話したあの物語とも言えない、世間話に名前を付けて、残しておくのも面白いだろうと思って、ね。
一連のアレに名前を付けようと思うんだ。君ならこの気持ち、多分わかるんじゃないかな。
君の冷蔵庫と僕の冷蔵庫がつながっていれば面白いね。
いや、アメリカの冷蔵庫と、イタリアの冷蔵庫がつながっていれば、うん、面白いね。
アメリカの子供が昨日の残りのミートソースのスパゲティを食べようと、冷蔵庫を開けるよね。すると、見慣れないトマトだか、チーズだかワインだかが入ったイタリアの他人の冷蔵庫につながってるわけだ。
面白いのはここからでね、
子供はそこに、ボロネーゼを見つけたんだ。ママのミートソースに比べると、チーズが少し足りなかったけど。
アメリカの子供は大きくなって、18歳になった。
ペンシルバニアの有名な大学で、イタリアから来た絶望的に髪の綺麗な女の子と出会う。
プロムで何度も見かけていたのに、勇気がなくて話しかけられなかったんだ。ダンスが得意じゃなかったんだね。
一生懸命ダンスの練習をしたのはまた別の話。
絶望的に髪の綺麗な彼女とは2年つきあって、初めて手料理をごちそうしてもらう。彼の感動は言葉に出来ないね。見せたかったよ。
「このミートソースのスパゲティ、とてもおいしいよ」
彼女は嬉しそうにはにかんで、言った。
「それはボロネーゼって言うのよ、レシピは母に教わったの」
それから4年後、彼らはバーモントに小さな家を建てた。
さらに5年後、絶望的に髪の綺麗な彼女はお母さんになり、そのまたお母さんに教わった自慢のパスタをくせっ毛の息子に振る舞う。
「おとうさん、これ感動的においいよ。もう最高さ!最高に最高だね、母さんのBolognese!」
アメリカの右端の、小さな家族は、ミートソースのスパゲティを、ボロネーゼと呼んでいる。
あの日、期せずしてイタリアの冷蔵庫とつながった少年は、大人になり、母の料理を平らげるくせっ毛の息子の口元をふいてやりながら、やはり、母さんの髪は、今だって絶望的に綺麗だなぁと思うんだ。
もちろん、あの日、冷蔵庫がどことつながっていたのかなんて知らないし、そんなことはもうとうの昔に忘れている。
イタリア産の安いけどそこそこイケるワインを飲みながら、急に振り返った髪の綺麗な彼女の髪に見蕩れてたコトを悟られないように、照れ隠しのように言う。
「母さん、パルメザンをとってくれるかい?」
長々とつまらないことを言ったね。
それでもこれから僕が話す一連の四方山話にどうして冷蔵庫の冠がついているのか、その片鱗でも伝われば、君の時間も報われるというものだよ。
特に誰かに話したいわけじゃないし、それに話したところで盛り上がる話でもない。作り話ほど劇的でもなければ、アイスキュロスほど悲劇的でもない。まあ僕にとってギリシャの悲劇は、概ね喜劇なんだけれども。笑える。
ああ、そうだ、「演劇とは風に記された文字である」ってのはピーターブルックの言葉だけれど、それじゃあ、一体、この一連の与太話は何に記された文字なんだろうね?
わらかない。うん、だからこそ。
君に昔話したあの物語とも言えない、一連のアレに名前を付けようと思うんだ。
旅と冒険は根本的に違うし、そして冷蔵庫の冒険は続く。
冷蔵庫の冒険は剣も魔法もない、ファンタジックでメタボリックな時間の浪費です。
文:シンタロヲフレッシュ
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