冷蔵庫の冒険003|もし僕の辞書が世界の辞書なら
君はまだ気高く飢えているか?
たとえばもし、僕の辞書が世界の辞書なら、真っ先に、戦争って言葉を消すよ。次に差別で、次にいじめ。
もちろんこれは、先に現象を無くして、言葉の意味を無くすって意味ではない。
先に言葉を無くしたらどうだろって話し。
半分笑い話で、半分本気だ。
単純に、説明が長くなる。
それぞれの正義のため、もしくは利益のために人が人を殺し合うこと、ニュースの度にニュースキャスターはこうやって言うし、新聞にもこうやって載る。
めんどうだ。
しかも、漫画やアニメはそして歴史なんかは時に戦争を美化したりする。
俺、この戦争が終わったら、国の彼女と結婚するんだ
確かにキャッチーなセリフだけれども、
俺、この「それぞれの正義のため、もしくは利益のために人が人を殺し合うこと」が終わったら、国の彼女と結婚するんだ
別にこのセリフを吐いた彼が戦争を肯定しているかどうかは問題ではないし、得てしてこういうフラグが立つ奴は、いい奴だったりする。
でも、己の意思はどうであれ、行為に荷担して、どの面を下げて結婚するつもりなのか、という感じが、戦争という言葉を辞書から消すだけで、沸き立つではないか。
そうこの台無しな感じ。
カテゴライズしたりパッケージングしたりすると、状況は固定される。
フリーター、とかニートとかお一人様とかさいたるものだろう。
当然、言葉がなくなっても、状況がなくなるわけじゃないし、言葉がなくなって仕事が生まれるなら、はじめから若者の就労の問題なんて生まれるわけはない。
こんな幸せな脳みその僕だって、言葉がなくなればいじめや差別がなくなるとはさすがに思わない。
しかし同時にこうも思う。夢想する。
生まれた瞬間からある程度の年齢まで、具体的に言うと小学校を卒業するまで、ネガティブな言葉を教えなければと。
もちろんこの小学生達だって、知らず知らずにいじめもするだろうし、ムッともするだろう。
当然教師だって人間だ、時には間違ったことだってふとした弾みに言ってしまうだろう。
でも。
と、夢想する。
臭い物に蓋をするわけじゃない。歴史から差別や、殺戮がなくなる訳はない。
でも、でもでも、僕は新しい、この新しい小学生達に期待せずにはいられない。
中学校からは戦争も、道徳の時間に差別も区別もならうだろう。あったことをないことにするわけにはいかない。
僕の辞書から戦争という言葉を消しても、主義主張の違う人たちは、互いの利益のために、確執が閾値を超えれば、武器を取る道を選ぶだろう。
でも。
と、夢想する。
戦争という言葉を知らないまま、ネガティブな言葉を一つも知らない大人達だけの世界が生まれたら、1%でも、ネガティブなことが生まれる確率を減らせはしないだろうか。
きれいはきたない、きたないはきれい
こんな机上のきれい事で空腹は満たされないし、自殺は減らないだろう。誰も死なない推理小説などないように(たまにあるけど)、時代劇に殺陣シーンが不可欠のように。
それでも僕は夢想する。
夢想するし、僕の辞書が世界の辞書なら、片っ端から消したい言葉が多すぎる。
いじめで人が死ぬなんて、ありがちで嫌すぎる。パワハラで人が死ぬなんて、くそむかつく。
自分が死ぬことで自分の世界を平和にするなんて、自分が死ぬことで抗議するなんて、誰も攻撃せずに己を滅するなんて、もうほんと。
僕は夢想する。膝を折り嘆くほど僕は老いてははいないはずだけれども。僕は夢想する。迷宮のような冷蔵庫で。
旅と冒険は根本的に違うし、そして冷蔵庫の冒険は続く。
冷蔵庫の冒険は言葉の力を信用して、また裏切られる時間の浪費です。
文:シンタロヲフレッシュ
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