冷蔵庫の冒険001|かまってちゃんと、かまってちゃんをかまいたいちゃん

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冷蔵庫の冒険001|かまってちゃんと、かまってちゃんをかまいたいちゃん

君はまだ気高く飢えているか?

圧倒的に全身全霊で「かまってちゃん」が苦手だ。
もちろんバンドの方ではない。

ここで、かまってちゃんにかまって攻撃を喰らったエピソードの一つでも書けば、まあ、それなりに説得力はあるかも知れないが、実際かまってちゃんにかまってくれと言われたことはない。

相談を持ちかけられないタイプなのだ。僕は。

どっちかっていうと、いや、どっちかっていわなくても、「ほんとうにかまわないでくれ」ちゃん、なのだ。僕は。
とはいえ、それなりにはかまってくれよとも思っているので、質が悪い。のだ、僕は。

つまり当事者性は、ほとんど(後々出てくるけど)ない。

というわけで、「かまってちゃん」をバッシングするつもりなど毛頭ない文章であることを明言してスタートしたい。

とはいえ、各種SNSを使っていると嫌でも目にするかまってちゃん。


・ちょっと自殺してくる
・彼氏と上手くいかない的な
・不必要な(と感じる)ほどの攻撃性

これすなわち(僕的解釈では)かまってさんだ。極論言うと、眠れないツイートとかもかまってちゃんだ。

そうね、無視すればいいよね。

まったく貴女の仰るとおりだ、ぐぅの音も出ない。

どんなツールだって、好きに使えばいい。まったくだ、まったくなのだ。

そして、大概無視している。し、無視していると感じないほどになれている。無視はしているのだが、本当に目から鱗がぶっ飛び出るのは、ここから先で。

僕が無視しても、誰かが拾うのだ。恐ろしいことに。いや、別に恐ろしくはないが。

中高生とか、厨二病をこじらせた人たち、僕を含め、コミュニケーションに飢えてる人たちが、意識的、または無意識的にコミュニケートを求めるこれらの行動言動は、まあ、正直僕としては見るに堪えないので、絶滅すればいいなと思ってなくもないのだが、(見なければいいという対処療法はともかく置いておくとして)それでもどうにも絶滅してくれないのは、まずまちがいなく、、、

「かまってちゃん」と同数、いやさ、それ以上に「かまってちゃんをかまいたいちゃん」が存在しているからだろうと思う。

そして、「かまってちゃんをかまいたいちゃん」が問題を相当にややこしくしてくれている。

お節介、というジャンル

苦手だ。「お節介」というジャンルが苦手だ。
そう、僕とは、完璧人間からはほど遠い、血が凍り付いている、卑怯で卑屈な人間なのだ。

何故そうまでして、他人のどうでもいいことに対して、命を張れるのか、自己満乙とまでは言わないが、そう言わなければ、見ているこっちの精神が持たない人種が存在する。

難しく分析するまでもなく、「心配する・親切にする」というベクトルでのみ他人との関わり方を維持できる人々なのだと思う。
しかもこのジャンルの方に限って「心配されたり親切にされるのを拒む、もしくは苦手とする、もしくは、自分は心配などされるはずがない」と思っている傾向が見て取れる(自身の経験上・統計学的数字ではない)ので、面白い。

さて、「かまってちゃん」がなぜ絶滅しないかの考察に戻るわけだけれども、人間の心理の真理だからとか結論づけるのはまだ早い。

食物連鎖的に言うと、「かまってちゃん」を捕食する関係で生息している「かまってちゃんをかまいたいちゃん」が存在しているから。が答えなんだけれども。

捕食というと、一方的だが、「かまってちゃんをかまいたいちゃん」的には、『「かまってちゃん」をかまってあげるから、かまい返してねちゃん』であるわけで、これは、レトリックの違いだけで、もう「かまってちゃん」だ。僕から言えば。

つまりつまり、僕から言えば(穿ってひん曲がった解釈だが)どっちも「かまってちゃん」であり、「かまってちゃん」の共食いだ。いや、雌雄同体の永久繁殖と言ってもいい。
心を持った生物が存在する限り続く、疑似永久機関だ。

しかしながらwinwinだ。
誰も傷ついていない、平和なクローズドワールドだ。何が悪い?悪くなどない。これっぽっちも。

loseloseなのは僕だけだ。
平和で晩ご飯の匂いのする鉄骨三階建て耐震性抜群の家に向かって、小石を放っている僕が悪者だ。

僕みたいな奴はシベリアの永久凍土で、ダイヤモンドダストの練習をしていればいいのだ。

バランスのプライオリティーが高い

ジャイロ・ツェペリが「納得を優先」するように、僕は「バランスを優先」する。

膠着状態が、嫌いではない。力業の打開が、それほど好きでもない。

ここで認めざるを得ないのが誰だって多かれ少なかれ「かまってちゃん」説だ。ツイッターとかしてご飯の写真をせっせとアップロードしているのがいい例ではないか。

潜在的「かまってちゃん」が閾値を超えたと判断する「かまってちゃん」を苦手とのたまうのは、いい面の皮だけれども。バランスを超えている。激しく逸脱してる。

「自分アピール」を往々にして含むから、バランスを崩すんだ。
コミュニケートの成立がゴールなら、選ぶべき道はそうじゃないだろ?と自称バランサーの僕の中のゴーストが囁くどころか叫ぶのだ。

SNS疲れの真実

これはもう、明白で、思い通りに行かないからだ。
僕からしてみてば、毎日のように、かまってちゃんと、かまってちゃんをかまいたいちゃんのラブシーン(耐えがたいほどの)を直視し続けるのだ。残念ながら、それは僕の好きな世界ではない。

じゃ、止めれば?結論は先送り。

そして、ある日突然、自分の「かまって性」に明確に気がついてしまう。
聡明なふりをして「かまってちゃん超ウゼェ」とか言ってみても、「超ウゼエよね?ね?僕の意見どう?」という、拾ってちゃん(かまってちゃんの亜種)であるだけで、マルチーズとダックスフンド程度の違いだ。

国語の授業を潜在的に馬鹿にする奴は、どう考えても馬鹿だとしかいいようがない

日本人なんだから、国語って必要なくね?と本気で思っている人とは友達にはなれない。

日本国籍を生まれた瞬間から持っているから、自分は日本人である、故に国語は完璧、日本語ぺらぺらだぜ!。って本気で思っているのかおい?ってなる。
「若者の言葉遣いがひどい」ってのとは次元をかくす言及である。ってコトが認識できたらの話しだけれども。

迂回がすぎるから、まとめると。

コミュニケーションって、それほどヤワではないだろう。
そして、僕らはヤワになっている。

恋愛成功の近道は、傷つくことを恐れないことだ!って誰が言ったか知らないが、無理だ。傷つくのは嫌だ。でも真理だ。傷つくのが嫌で、声をかけなければ、まず間違いなく、100%、言い切ってもいい。恋愛関係には発展しない。エスパーでもない限り無理だ。エスパーになるのはもっと無理だ。そこで登場!「自分を変えろ!」自己啓発タンだ。

「自己啓発」という言葉がうさん臭い理由 | No Second Life

厳密に言うと「自己啓発ビジネスシステム」だ。自分磨きが悪であるはずがない。そりゃそうだ、修行しなく新必殺技がバンバン使えるのはワンピースだけだ。ブリーチをみろ!どれだけ修行してるんだ!

友達の作り方、とか結婚の仕方とかのマニュアルがきっと出来る。いや、もう出来てる。マジだ。婚活とか、自己啓発とか、人脈とか、いわばすなわち、言葉を作った奴の思惑で、もうすでにマニュアル化されかかっている。
法律とか自治体のルールとかになるのも時間の問題だ。
これは笑い話ではないけど、笑える。人の生き方にかかわることはすべてマニュアルが出来ている。育児とかがいい例だ。呼吸の仕方とか、上手い心臓の動かし方とか、探せば本が絶対発売されているはず。

笑える。

80年代キーワードで言うところの世間体だ。考えてもみろ、「女なんだからおしとやかにしろ」って謎のルールは誰が作った?30手前で結婚しろってルールは誰が作った?
女性だから女性性を売り出した方が得だって言うのならまだわかる。人脈を広げるとビジネスに有利だって言うのならまだわかる。結局謎のルールは、謎のルールが成立すると得をする人たちが、巧妙にあまり賢くない人たちを利用してでっち上げているだけなんじゃないの?

難しく考えるから難しいんだ、ってこれは真理だけれども。
しかしながら、表層だけを捕らえて全体を認識してるってのが、大概の見解な訳で。

効率化こそ是、失敗しない生き方こそ是、ってマジか?

コミュニケーションって、それほどヤワではないだろう。
「会話の仕方」「知らない人と打ち解ける方法」「友達の作り方」これらは学ぶべきことなんだ。僕だって今だって学びたい。イケルものならセミナーに行きたい。体系を知りたい。当たり前に出来ることではない。

日本人だから国語を勉強する必要がない。わけではないのと同様に。別にセミナーの勧誘とか、本を売りたいわけではない。

難しく考えるから難しいんだけれども。考えを止めることだけはしたくない。

コミュニケーションが下手でいいとも思ってない。

なので僕は「平和で晩ご飯の匂いのする鉄骨三階建て耐震性抜群の家」を見つける度に、ノックすることもなく、ただ黙って通り過ぎる。

旅と冒険は根本的に違うし、そして冷蔵庫の冒険は続く。

冷蔵庫の冒険は問題提起もソリューションもない、ファンタジックでメタボリックな時間の浪費です。

文:シンタロヲフレッシュ

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