【小ネタ】文体違うのにテイストがかぶるって、もうこれは前世が夫婦だったんじゃないだろうか、うん
いやまあ、なんつーか、ちょっと自慢してもイイですか?
スネ夫が嫌いな人は読み飛ばし推奨。
昨日のアンナ先生のツイート以来ニヤニヤがまじで止まらない訳だが。
久しぶりに自分の古い記事を読んでみたが、何を言ってるのかよく分からず、シンタローフレッシュと同じ臭いを感じて笑えた。
— RyoAnnaさん (@RyoAnna) 5月 11, 2012
これはもうプリントアウトして財布に入れたり、神棚に飾ってもイイレベル。もちろん神棚持ってないけどなッ!
僕はまあ、一応高校国語の教師の免許を持ってるので、ちびっと専門的に言わせてもらうと。ちなみに学部は文芸学部。
アンナ先生は常体。僕は敬体と文体が著しく真逆な訳で、真逆というと違うか、とにかく選んで進んでいる道が全く違う訳で、至極簡単にいうとアンナ先生は「だ。調」僕は「ですます調」っていうか、意図してハイブリットに近い。つーか、とか言ってる時点で敬体の皮を被った「口語体」だというべきか。アンナ先生はさらに言うと口語体と文語体のハイブリットな「常体」ね。つまりかすってもないのですよ。
さらにさらにウザく解説するとこの5千はてブこえてるこれ。
読みやすい文章を書くための技法 – #RyoAnnaBlog
あの人が地で行っているように、最初の書き出しとは次の一文の為のリードでアリ、次の一文は(以下省略)の繰り返しの結果、最後の「。」ピリオドに持ってくる。結果気がつけば読み終わっている。
て、言葉で書けば いや、当たり前やン、で終わるが、これ実際に実践しようとすると、絶対地獄を見る。
人にはまず間違いなく欲がある訳で、イイ文章を書こうとか、少なからず面白く書こうとか、絶対に「わざわざ」と「作為」がストレートな文章表現を邪魔する。
この「わざわざ」な作為がいい感じにフックになってくれればいいが、過剰だったり、意味が蒙昧で曖昧だったり、とにかく不必要だと判断されれば、ほんと目も当てられない。しかもたいていの場合不必要だからマジで質が悪い。多分僕のこの文章をみて、目を外してるんだろ?ん?どうなんだい?
と、このん?どうなんだい?とか、もう、典型ね。ひどい、最高にひどいわ。
さらに僕としてはエンタメのつもりで足してるオモシロパートだけれども
エンタメ|越えられない壁|ウザイ
のこのバランシングが超やっかいなのだ。超えられないカベのくせに、ひどくもろい。ぶっちゃけ一歩分の距離だね。縮地つかったら飛び越えすぎて、なんかさらに向こうのカベにめり込めるレベル。
これこれ、「縮地」とかジャンプ黄金世代じゃないとわからない、これな。
しかもこの「作為」を個性だと勘違いしちゃったら、終わるレベル。
えへへ、俺おもしれー、とか、みんなこういうのが好きなんでしょ?とか、読者は馬鹿じゃないから一瞬で見透かされちまうぜッ!
つまり、文体が全く異なるのに、テイストがかぶるって言うのは奇跡な訳だ。あの人は間違いなく越えられない壁の手前側にいる。明確な意思と鉄の覚悟と積み重ねた鍛錬で見定めすぎて手前ギリギリが狙えるからマジですごい。
つまり以前の文章と「つまり」が何の因果関係も結んでいないけど、めんどくなったのだ。つまり。
これはもう、僕があの人のテイスト盗もうとして、ストーキングしてるって言った方が説得力があるレベルだね。してないよ、してない、昨日ハヤシライスだったでしょ、してない。
最後に僕の好きな言葉を引用して、締めたいと思う。
文章を書く力は生まれつきのものではない。努力する事により、読みやすい文章を書けると信じたい。読み手を意識し推敲を重ねれば、おのずと綺麗な文章になるはずだ。 私は美しい文章を書けるわけではない。プライドを持って推敲を重ねているだけだ。
そして
オレのは『技術』だ 人間には未知の部分がある
(SBR-4)-ジャイロ・ツェペリ
「回転」は才能やスタンド能力ではない、技術だ。そして波紋もまたしかり。
LESSON4だッ!「敬意を払え」ッ!(ジャイロ・ツェペリ)
文:シンタロヲフレッシュ
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