ちょっと思いついたんだけど、未来のお葬式って
なんだか、少し思いついたんですけど、未来ってういか、近い将来こうなるんじゃねって、@フレッシュです。
祭壇の上には大きなモニター。もしくは、明るくてもはっきり見えるプロジェクター。
そこにはgoogleで故人を検索したエゴサーチの検索結果。いや、もしかしたらもっと正確にほしい情報が出る検索エンジンのエゴサーチ結果。
さらに言うと、故人について、いいことを書いていると判断できる検索結果。
コレがtwitterのタイムラインよろしく流れている。
ああ、こういう活動をしたのか、誰々が、こういうふうに書いているのか、と訪れる人々は楽しむ。
たまには文句や愚痴も流れる、面白おかしく描いてあるブログなんかも流れる。
ビデオサービスなんかで生前の映像なんかも流れるかもしれない。
web上に残した痕跡や、リアルな世界での活動、友達が書いた文章、全然知らない人が書いた文章。
そんなのが、お葬式で流れる。そんな時代が近い将来来るような気がする。
しかし、エゴサーチがもう少し進化したらの場合。
やろうと思えば明日からでも出来るだろうけど、ソレを人力で取捨選択するんじゃなくて、あくまでもフォルターや、アルゴリズムなんかで出来る時代が来たらのはなし。
いやまあ、生きてる僕の場合、tweetなんかがそのまま流れたらやだけど、僕を偲んできてくれる人には面白いかもしれない。
くだらないことをやってる映像とか流れたら、ソレはソレでほっこりするかもしれない。
facebookのタイムラインでライフイベントの楽しそうな写真とかが流れると、涙を誘うかもしれない。
ライフログをとる。なんて言うけど、それは生きている時だけじゃなくて、生きていなくなってからも、ソレはソレとして価値があるのかもしれない。
しかし、浸透するまでにはもうちょい時間がかかるかなぁ、デジタルネイティブがデフォになって、デジタルネイティブなんて考え方自体が消滅しないと、格式が、とか、式典だからとかのレガシーな考え方の方が権威をもってるから、お葬式なんて、したいようにすればいんじゃね?ってならないと難しいよね。
いや、ちょっと思いついた話ですよ。
文:シンタロヲフレッシュ
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