「ブログ論争」ではなくて、(過去に)論争していたブログを書いてる人達の対談だった件 #ブログ論争
つくづくタイトルって重要よね。
村上春樹の新刊がリリースされた当日に、書評でもないのに新刊のタイトルを記事にぶっ込んで、直帰率が90%近くになっているのは私です。どうも。
映像のログがないので後は風にでも聞くしかない面白対談会ですが、運よくユーストで拝見できまして。
結果的にこのまとめ
【随時更新】やまもといちろう ×イケダハヤトの #ブログ論争 書き起こし – NAVER まとめ
をまとめたまとめ作者さんだけが得をしたという、面白い結果に。
それにしても、ほんと「ブログ論争」とはよく言ったモノで、まったくブログについてでも、論争でもなかったので、タイトルとかハッシュは何だったのかと小首をかしげる結果です。でも僕は面白いなぁと思いながらユースト見てましたけど。
責任の所在について
結局最強に食い違っていて面白いと感じたのは、ここですな。以下僕の意訳です。正式な書き起こしではないし、誤解してるかも。
イケダさんはブログを書く以上誰かを確実に傷つけている、その悪を背負って発信している。と(僕の解釈では)仰っており、その意味は広義において「Aを言及する以上、A以外に対してそれを語らない状況が発生している」ということだと僕は解釈した。
言葉ってやつはやっかいなモノで、表がある以上裏があるわけだ。
ラーメン美味い!って書くだけで、極論スパゲッティー(ラーメン以外)美味くない!と取られる可能性だってある。もちろん屁理屈的極論だよ。
そういう極論含め、表現ってやつは、表現であるだけでにもうすでにある種人を傷つけているって言い放ったんだと解釈した。
たとえばノマドについて言及して、影響を受けた人が会社やめて、独立して、失敗して、落後しちゃったとしても、そりゃ僕の責任ではないでしょう??と言い切っておられる。うむ。たしかに責任ではない。けど、まあ、僕のような小心者からすると、ごめんくらいは思う。し、ごめんっていうくらいならはじめから書かないというリスクヘッジをしてしまう。このあたり小心者だから。
僕の例でいえば、85円のアプリを勧めて、あまりいいアプリではなかったって、思われるだけで十分凹めるんですよね。小さい。笑うくらい小さい。
書くのは自由でしょ!救済はしません。自己責任です!裁判で負ける気がしない。うむ。全部認めざるをえないけど、ね。
でも、これ、開き直りじゃん。
自分は悪です。悪故にどうぞ石つぶてをお投げください!だったらある種の美談で、アウトロー的ヒーローなかっこよさもあるというモノだけど、んなもん、悪だけど責任はねーし、取るつもりもねーし、しらねーし。書きたいこと書きます。
でもさ、いじめイクナイ!とか、どうなん、説得力そこにある??
経済的連帯(シャチクロン)は窮屈(いやならやめちゃいな!)、でも利益のために(プロ)ブロガーも組織化をって矛盾を抱えてない?ん、だろうなぁ。明言化すると、理屈は通ってるもんなぁ。
しかしまあ、ぶれないというか、ハート強いというか、ブログをかいて結果を出して注目を集めているコトは事実だし、出し惜しみしないという書き口というか、やりくちに関しては賛同する限りです。
個人的にはブログというシーンが盛り上がってくれたほうがありがたいので、是非とも先導して、若い人達を煽りつつ、話題を提供してもらいたいなぁと思う限りです。
と、ここまで書いて、ほったらかして土日を過ごして、タイムリー性にかけるよね、と消そうと思ったけど。
「発言に責任があるか」と「発言に責任を持つか」は別 – インターネットの備忘録
いいたいことが既にこちらに明言化されてて、もはや書くことないなぁという感じですが、せっかく無料で生中継見られたらし、なんか書こうかなという感じです。
とにかく、イケダさんに関しては、天才としかいいようがない。
天才の炎上体質なんだろう。
僕は今まで氏のブログ読んでえぐめのネタとか見て、ああ、わざとやっておられるなぁと感じていた。ぶっちゃけ燃えて、アクセスが集まって、そして結果広告費で生活で出来てwinwinというところまで見越した生活のためのブログだと思っていたけど、じつのところ、無計画というか、天然ものであったんだなぁという感じ。どのみちハートの強さは尋常ではないと思うけれども。
トゥゲッターとかでたまにまとめられる失言ツイートと大差ない、天然の仕業である気がしてきた。
狙ってやってる限りでは、防いだりコントロールしたり出来なくもないだろうけど、狙ってないならもう、しかたない。
火に油を流したら、そりゃよく燃える。
燃えたところで、さらにいい感じに煽りを加えると、燃え上がる。ただ、それだけ。
本人的には煽っている自覚すらないのかもしれない。し、煽っている自覚があったとしても、そんなに?という感じなんだろう。
誤解を恐れずにいえば、イケダさんは注目されているかも知れないけど、人気があるわけではないんだ。むしろ、注目されているが故に、人気があると勘違いして、氏の言及や書いていることに影響を受けてしまった方がいらっしゃれば、これはもう悲劇としかいいようがない。
いや、人気があって、氏が好きな人もいると思う。たぶん。多分。
しかしながら、しかしながら、氏がトップブロガーで、氏のブログこそがブログのあるべき形だ!みたいなコトになったらえらいこっちゃである。まあ、まず間違いなくそうはならないけれども。
でもまあ、テレビとかに出てないタダのブログ書きの対談に、お金をはらって見に行く!という方があんなにいっぱいいるというのは、それはそれとして、ブログってやつのシーンが盛り上がっていることの証明になるんだろうなぁ。
ある種ブログっていうモノはクリーンなモノだけではないと僕自身思っていて、えぐいやり口でお金を稼いでいるブログも大小はあれ、ないとは思わない。
このfrasmを見ても何かしらの黒さみたいなのを感じる人だっているかも知れない。
ブログを読むことを楽しみにしている方が、そういう黒さみたいなモノに対して残念だわと感じているかも知れない。少なくとも僕は「ああ、グレーだなぁ」とおもうコトはよくある。
僕程度のキャリアで見抜けるグレーがけっこうある。
黒さみたいなモノがなくなると、それはそれでつまらない気がしないでもないけど、この先ブログは増えるだろうし、淘汰もされるだろうけど、隊長や氏のトップブログがウイルスと成り、自浄作用みたいなモノが働けばそれはそれでアリだなとは思っていて、ブログを告発できるのはブログだなぁとなんとなく思った次第です。そういう意味合いにおいても、いいたいことを控えるのは、よくないってのは当たってはいると思う。
告発とかの発生元が、正義感とか、委員長的スタンスとかだと、僕もん?って思ってちゃうけど。いや、お前は誰なんだ?と。
まあね、日本では残念ながらダークヒーローは受け入れられないのが悲しいところだけど。
僕自身もコツコツやり続けて売れました!みたいな貧乏話が好きだし。イケダさんみたいになれるともなりたいとも思えないですが、コツコツとブログ書いていこうと、改めて思えたいい機会でした。
総括的なアレですが、普段文章だけに触れている方達が喋っているとコトを見られるって最高に楽しいモノですね。
書くってのはどうしても演出というか、取捨選択というか、そういうフィルターがかかってしまうけれども、対談とか、インタビューとか、その場でやりくりしなければいけない状況だと、何気なく選んだ言葉とか、機微とか、その人が見られて面白いですよね。隠しようがないというか、漏れ出てしまう人間性というか。
そういう意味で、ブロネク、まだまだやりようあるよなぁと、自分の利益に結びつけつつ、楽しい時間でした。
いろんなスタンスとか立場とか状況とかをまったくキャンセルして、イケダさんの話をもっと聞いてみたいなぁと僕自身はとても思いました。これはもう会いに行くしかないのかなぁ。
文:シンタロヲフレッシュ
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