細分化の針
バズリてぇ、みたいな、大多数の注目をゴゴッと浴びたい的な欲望は、わりと霧散した。
そうでなければ「ねぇ」みたいな2文字のタイトルを付けて記事を出したりなどするものか。
今は「ん」と1文字のタイトルの記事を企画しているところだ。これ以上はもうなくせない所まではきた。
こうしてブログをやって、お役立ちコンテンツ的なものを放り込んでいる僕なのでバババババっと記事が拡散されて、やべー、あいつやべー、フレッシュやべー的なことになれば良いなとは思っていないと言えば嘘になるけども。実際そっち方面への熱というのは多分もうそんなにない。なにせブログなんて石を投げれば当たるくらい誰でも書いているし、僕よりも勤勉に毎日書いている人もいるし、僕よりもなんかこう、必死な人がたくさんいる。
諦めたのか? と問われれば諦めたんだろう。
言い方は悪いけども、これはもう運の問題なのだ。
もちろん運をつかむのも実力だし。運が向いてきたときにちゃんとつかむ準備があるかないかが重要だ。
そうでなければ一瞬バズることは出来てもバズリ続けるなんて不可能。
なので、僕としては大多数のどうでもいい人に届いてくれなくてももういいなと思っている。
気になるあの子に届けば、それで成功だ。
大成功だ。
よっぽどの活字厨でもないかぎり1日に読めるブログ記事なんてたかがしれている。
Twitterで気になるタイトルだけを何記事かつまめばわりとお腹いっぱい。高解像度液晶でも文字を追うと目が疲れるんだ結構。
無欲の勝利とか、よいものを作れば必ず届く、を誰もが信じてない
回線速度は上がり、解像度もうなぎ登り、クラスタはさ細分化された。むしろもう僕らはたった一人に向けて書くしかない。
そのくらいの精密性を持って放たなければ届かないと、自覚し、むしろ針の穴を通してみたら針が結構な本数重なっていたりするわけだ。
細分化、やら、クラスタやら、小さくなればなるほど自分に合う人に届くんならば、マスでなくともブログもSNSはまだまだ面白い。
文:シンタロヲフレッシュ