はっきりと甘やかす

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はっきりと甘やかす

バリスタ

生きづらくしているのはたいてい自分である。

掘り下げて言えば、生まれた環境や学校の先生、クラスメートなんかの「自分で選べなかったモノ」やコトが関係している。

関係しているんだろうけども、最終的に決定しているのは他でもない自分である。

少なくとも僕の場合いい歳をした大人なのだから、住む場所も仕事も、たくさんのことを自分で選べるし、自分で選べないことの方が少ない。

例えば収入が倍欲しいとして、じゃあ今より倍は働かなくてはと思ったら、まあまあしんどい。

毎日8時間の労働を16時間にしたからといって倍になる保証はどこにもない。

なんなら体を壊して余計に出費がかさむかもしれない。

もっと言えば、今働いている環境で来年も同じお賃金をもらえる保証ももちろんない。

現状維持ではいずれゼロになる。苦しく残念だけども、そうなのだから仕方ない。

いったんシンプルに考えてみる。働く時間が半分になって、収入が倍になったらいいよね?

要領の良いことがなんだかよくないことのように無意識に思っているところがあるけども、ほんとうは如何だろうか。

苦労もなく欲しいモノが手に入るにしたことはないし、10年で成し遂げず明日成し遂げられればそれにこしたことはない。

本当はそっちの方がよいはずなのに、出来ない言い訳のように、自分が出来ないのは苦労が足りないからだということにしがちである。

苦労がよくないとは言わない。しかし、苦労のしかたに問題があるし、もっと言えば生き方に問題がある。

よりによってなんでしなくてもよい苦労が必要なのだろうか。

もっと楽に、簡単に、自分を甘やかしていいんじゃないか。

最短距離でいいじゃないか。

と、ここまで書いて理由はとうにはわかっているのだ。やり遂げるための方法を考えるよりも、できないことの言い訳を考える方がよほど簡単なのだ。ダメージは少ない。なんなら同情してもらえることだってあるだろう。

苦労話の好きななよい子の皮を脱ぐために、すくなくとも僕は本当ならどうだろうかと考える。

しなくてもよい我慢をしてないか?

誰かが代わりにしてくれるなら、やってほしいことはなんだ?

本当にやりたいことをやっているか?

もっと自分を甘やかしたい。世の中楽勝でしょと言える方がかっこいい。

いい子になるコト、良い子であるコトを自分で自分に強要しすぎている。

遠慮が出来る子、控えめな子、協調性のある子、上品な子、優しい子、我慢が出来る子、そういう子が良い子なのだとしたら、なんと生きづらそうなんだよ。

不平不満がちゃんと言える子、強欲な子、怒る子、泣く子、なにかに夢中になれる子、好きなモノのある子、嫌いなモノのある子、そういう自分がよい。

文:シンタロヲフレッシュ

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